「地名と市町村合併」 （徳島新聞考現学'05　4月5日掲載記事） 　この３、４月に徳島県で４つの新自治体が発足した。昨年１０月に麻植郡四町村が合併して「吉野川市」になり、この３月には、那賀郡の丹生谷の鷲敷、相生、上那賀、木頭、木沢の５町村が「那賀町」、美馬郡のうち脇、美馬、穴吹、木屋平の４町村が「美馬市」、半田、貞光、一宇の３町村が「つるぎ町」となった。また４月には、阿波郡と板野町の土成、吉野町が合併して「阿波市」がスタートしたばかりだ。 　つい先ごろ、愛知県の美浜町と南知多町の合併に伴い、「中部国際空港」（常滑市）の愛称にあやかった「南セントレア市」という新市名が住民投票によって否決され、合併そのものも白紙に戻るという出来事があり、話題となった。なぜ土地の歴史や地形とまったく関係のない外国語の名称を付ける必要があるのか疑問視されたのだ。四国でも、昨年４月に愛媛県の旧川之江市と旧伊予三島市が合併して「四国中央市」となったが、「地方の時代」と言われて久しく、それぞれの地域が独自性や特色を発揮しようと頭をひねっているときに、なぜ今さら「中央」という語を盛り込まねばならないのか、違和感を覚えたものだ。 　私は「言霊」の研究論文によって筑波大学より博士号を授与されたこともあって、地名や人名や物の名前など、言葉には非常にこだわってきた。中でも地名には、その地域の歴史や地形や地質などの歴史地理的情報ばかりではなく、土地の力と「たましい」とでもいうべき情念と信仰と先祖伝来の「情」報が溜め込まれていると思う。地名はいわば、土地の魂の象徴表現なのである。特に古名になればなるほど、そのような言霊信仰は強かった。 私の住む埼玉県大宮も、４年前までは「大宮市」を名乗っていた。それが２００１年の大宮市・浦和市・与野市の３市合併で「さいたま市」となった。私はこの市名変更に大反対だったが、政令指定都市になるという政治判断と"浦和・大宮戦争"による妥協策で、変更を余儀なくされた。今でも「さいたま市」と名乗るたびに不愉快な気持ちになる。それでも私の住む地域には「埼玉県さいたま市大宮区」という区名が残った。が、少し離れた地域では「中央区」とか「北区」とかどこにでもある区名が行政判断で付けられている。実に不快であり、地域文化をないがしろにする暴挙だと今なお憤りを覚える。 　もちろん確かに、「大宮市」という市名が古代からあったわけではない。１９４０年に付けられた名称だ。しかしこの市名には、氷川神社という「武蔵国一宮」を中核とした伝統文化への尊重と尊敬が込められている。冗談半分で「私は『大宮びと』です」と言う愉快な気持ちも味わった。そこには地域文化への認識と尊敬と愛着と誇りが込められていた。 しかし「さいたま市民」となって事情は変わった。昔は、「大宮市民」としての意識は強かった。だが今、「さいたま市民」という意識はまったくない。もう一度市名を元に戻してほしいと願っている。本気で市名を復活させる地域運動をしようかと思っているくらいだ。 行政判断と文化判断は違う。文化は一朝一夕になるものではない。文化の土台は「風土」と「言葉」である。まず土地があって、その地に生きる生命があり、生命の一つの種としての人間がいて、言葉を用いて生活している。その言葉でその土地を称え、言い表わす名称を付けた。地名にはそこに住まう人々の土地への愛と尊敬と歴史が刻まれているのだ。 　 徳島県でも、昨年１０月、麻植郡の「麻植」という由緒ある地名が姿を消した。当地の有力者だった忌部氏が麻を植えて布を織り、朝廷に献上したという由来を持ち、延長５（９２７年）に完成した古代法典『延喜式』にも登場する由緒ある書名で、惜しまれてならない。 　 憲法改正や教育基本法を改正してまで「愛国心」を高めようと煽る人々が、平気で地名を変えていくのを、私は実に白けた思いで見つめている。土地の記憶や風土と密接に結びついている地名が姿を消していくことが愛郷心を切り崩し、ひいては「愛国心」の土台を解体していると思えるからだ。 　 明治末期に、民俗学者の南方熊楠は、政府が推進した神社合祀に大反対した。一町村に一神社という合祀がもたらすものは、結局、�@敬神思想を弱め、�A民の和融を妨げ、�B地方を衰微させ、�C国民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害し、�D愛国心を損ない、�E土地の治安と利益に大害があり、�F史蹟と古伝を滅却し、�G天然風景と天然記念物を亡滅する、と８項を掲げて猛然と反対したのだ。地名変更についても、南方熊楠の指摘とまったく同じことが言えるのではないだろうか。よくよく考え、行動すべきである。