拝啓 鎌田東二先生 いよいよ04年になりました。先生はインドへいかれていたとの由。インドではどんな体験をされたのか、お話を伺うのを楽しみにしています。 占星術的には、クリスマスから新年にかけての星周りには、実に危ういものがありました。火星・土星・太陽・月が互いにハードなアングルをとる緊張度の高い配置で、一体何が起こるのやらと仲間内で話し合っていたら、イランでの大地震。何万人もの方がなくなるという事態で、本当に驚きました。 イラクももちろん大変だけれども、もしできるのなら、自衛隊の方はイランへ救援に出かけるというのはできないものなのでしょうか。寒さのなかで震えている子供たちのことを考えると、本当に心が痛みます。 ほんの少しですが、募金のほうにも協力させていただきました。また、衣料のほうも年末の整理で不要なものがでてきたので、クリーニングに出し終えたらお送りさせていただきたいと思っています。日本は地震国。けして人事だとは思えないのです。 僕のほうは正月は東京にいました。毎年は実家の京都に戻るのですが、昨年の12月に仕事で関西にいったおりに、実家にももどっていたので、もう今回はいいかなと思っていたんです。年越しは、親しい友人たちと鍋を囲み、カウントダウンは仲間内の店でやりました。 一人で東京で暮らしていると、こういう仲間との交流、小さな共同体の存在が実にありがたく思えてきます。 けれど、家族の念というのは強いもので、ひょんなことから4日に実家に戻ることになったんです。実はある用事で新横浜に出ようと新幹線にとびのったんですが、うっかりまちがえて新横浜には止まらないのぞみにのってしまい、そのまま名古屋へ。うっかりものの僕らしいミスなのですが、そこから戻る気もなくなり、いっそと京都までいってしまいました。駅には友人が迎えにでてくれて、そのままドライブ。妹や姪たちに会って、ちょっと遅い正月を過ごすことができました。 もちろん、これは僕のうっかりなんですが、どこかで家族たちから戻って来い、という念が送られていたのかもしれませんね。 京都ではお酒の神様である松尾大社に詣でて、今年の平和を祈念してまいりました。 さて、その新幹線のなかで面白い本を読みました。 ヒュー・ブロデイという記録映画作家、陣理学者が著した『エデンの彼方 狩猟採集民・農耕民・人類の彼方』（草思社）という本です。著者はユダヤ系の英国人ですが、カナダのイヌイットの世界にフィールドワークをし、彼らと緊密な関係を結びます。そして、一般にいわれているような農耕民が定住者であり狩猟採集民が放浪者である、という見方が間違いであることを暴いてゆきます。 大学で人類学をかじっていたときに、サーリンズの本などで、農耕民よりも狩猟採集民のほうが実は余暇の時間が長い、などということは読んで知ってはいたのですが、しかし、映画作家でもあるブロデイの生き生きとした文章によって、狩猟民の生き方が実は環境に対する負荷が少なく、しかも平和的なのだということが伝わってきました。農耕は一時の収穫量を飛躍的に増大させますが、そのためには多くの労働力が必要で、それが大家族主義を生み、かつ、自然環境を激変させ、多くの人口を支えるためにさらなる耕地を『開拓』してゆかねばならない宿命にあるというのです。こうして民族の大移動、あるいは拡散が起こってゆきます。そしてそれは先住民たちを征服する過程でもあり、武力によって、またそれ以上に、新しい疫病が持ち込まれることによって、狩猟採集民たちを苦難のみちへと追いやってゆくことになったというのが、ブロデイの考え方です。 ある狩猟採集民がイギリスを訪れたときに、その田舎の光景をみて、『これは何もロンドンと変わらない。何もかもが作り物だ』というシーンがあるのですが、これはきわめて印象的でした。僕たちが心に描く『自然な田園風景』もが、素肌の地球に生きる人たちから見ればすべてが人工の世界だということになるわけです。 以前、星川淳さんのトークショーを聞きに行ったときに、「日本人が考えるような自然は本当の自然ではない。どんな山もほとんど2000年にわたって人の手が入り続けている『里』なのだ。圧倒的なアメリカの原野などとは比べられない」とおっしゃっていたのが思い起こされました。 そして、それらの先住民がこぞって自然界の霊を大切にし、そうした霊と夢を通じて交流しているのだということも納得できました。 まだ翻訳はされていませんが、ブロデイのほかの著書でＭａｐｓ ａｎｄ Ｄｒｅａｍｓというのがあるそうです。 これは狩猟採集民の人々が夢に思い描く世界と、地理感覚との関係を書いた本だそうで、とても興味をそそられます。 人類学者と臨床心理の世界の人々とはもっともっと学びあうことがあるのかもしれませんね。 もちろん、ブロデイの主張にはずいぶんバイアスがあるのかもしれません。狩猟採集民を美化しすぎているといわれればそうかもしれないのですが、しかし、彼らの権利主張を支援している姿には感動させられました。 『進んでいる』はずの農耕民であるわれわれは、いまだに戦争を止めることも競争をやめることもできていません。 彼らの繊細な文化から学ぶことは多いのではないでしょうか。 そして、その誇り高い生き方に敬意を表して学ぶことで、この目を覆いたくなるような状況を少し変えることができるのではないでしょうか。 そんなことを考える新年の読書でした。 今年は、ますますいろいろなことにチャレンジしてみたいと思っています。 自分のためにも、あるいは大切にしたい人々のためにも。 暖冬とはいえ風邪が流行中です。 どうぞご自愛ください。 敬具 ２００４年１月７日 鏡リュウジ拝 拝復 鏡リュウジさま 鏡さん、１月４日に東京から京都に新幹線で行かれたのですね。実は、わたしもその日、３時ごろの新幹線で京都に行ったのです。もしや、同じ電車だったりして。そうだったら、おもしろいですね。 わたしは、京都の友達の家に行きました。梅原猛さんの長男の梅原賢一郎さんの家です。去年の８月に梅原さんが『カミの現象学――身体から見た日本文化論』（角川叢書）を出版したので、出版祝いをしようと言っていたのですが、のびのびになっていたのを、この４日の日に行なったのです。翌日５日・６日と、京都で泊りがけで、『現代仏教情報事典』（法蔵館、２００４年７月刊予定）のために、山折哲雄氏を中心として宗教学者の川村邦光、正木晃、島田裕己の諸氏とわたしの５人が座談会を行なうことになっていたので、その前日から出かけて、梅原氏の出版祝いをすることになったのです。 梅原さんの本は、とてもユニークな本で、宗教も芸術も「穴開けの技法」であるという根本着眼に基づいて、「たべる、まみれる、よせる、まねく、うつす、かさねる、くだく」という７つの角度から、その「穴開け」の類型を動態的に特徴づけ、解釈した本です。シャーマニズムは、あの世とこの世、幽り世と顕し世、異界と現界との壁に穴を開け、交通・交流・交換＝交感＝交歓する技法です。 芸術も根っこは同じですね。わたしは、横尾龍彦さんと横尾忠則さんという二人のアーティストと一緒に仕事をしたことがありますが、彼らも目に見えない世界と目に見える世界の境界に穴を開けるラディカルな作業をつづけてきた人たちでした。龍彦さんは「風」によって、忠則さんは「滝」によって。二人ともイニシャルが「Ｔ・Ｙ」でした。 ところで、年末には、１週間、インドに行ってきました。宗教学者の町田宗鳳（東京外国語大学教授）さんを団長とし、島薗進（東京大学教授・宗教学）、粟屋剛（岡山大学教授・生命倫理学）、加藤眞三（慶応大学専任講師・内科学、医師）の諸氏とわたしの５人で、文科省科研費「脳死・臓器移植の比較宗教学的研究」（通称・いのちの研究会）グループが、インドの臓器移植や臓器売買や宗教と生命倫理の関係などを調べるためにでかけたのです。メンバーのインテリジェンスも個性もともに際立った実にユニークな一行で、大変奇想天外なおもろい出来事が次々と起こり、楽しくもスリリングで、また学ぶところが多い旅でした。台北経由でデリーに着くはずが、デリー市内の濃霧のため着陸できず、急遽ボンベイに着陸するという、しょっぱなから異変が起きたのです。この顛末を書き始めたら、それだけで終ってしまうので、省略しますけれど。 島薗さんと加藤さんはインドが初めて。町田さんと粟屋さんは３−４回目。わたしは２回目。 もう１５年前になりますが、１９８９年８月に、わたしは初めてインドに行きました。タイのバンコクからカルカッタに飛び、夜の９時過ぎに到着したのですが、空港はこれが国際空港かと驚くほど質素で、灯りも暗く、タクシーの運転手や呼び屋でごった返していました。いきなり、インドの混沌の中に投げ込まれたという感じで、翌朝、カルカッタの街を歩いた時には、「これは夢じゃないか」と思うほどシュールで、眩暈がしそうでした。都市を見てカルチャーショックを受けたのは、後にも先にもこのカルカッタだけでした。とにかく、街の光景が夢の中の光景のようで、とてもリアルな現実感があるようで、しかも夢幻的なのです。まるで、「幽体離脱」状態で、夢遊病者のように、街を歩いているかのようでした。アンドレ・ブルトンがこの街を知っていれば……。ロートレアモンが『マルドロールの歌』をカルカッタで書いたとしたら……。「手術台の上のミシンと蝙蝠傘の出会い」はどういう展開を遂げただろうかと思わずにはいられませんでした。 以来、カルカッタはわたしにとって、特別の夢の都市となっています。よく、カルカッタのことを思い出します。夢の中の一光景のように。ヘミングウェイだったか、誰かが言っていました。「人間は２種類に分かれる。青年時代をパリで過ごしたことのある人間か、そうでない人間か」。これには思わず納得しました。「パリ生まれ」のわたしとしては。 しかし、パリだけではないとわたしは思わずにはいられません。「人間は２種類に分かれる。カルカッタの混沌を知っている人間か、そうでない人間か」。藤原新也の『東洋街道』に、ガンジス河のほとりで屍体の骨を銜えている犬の写真があったように記憶します。その写真にインパクトのある言葉が添えられていました。ほんとに記憶は朧で、間違っているかもしれませんが、「人間は犬に喰われるほど自由だ」、だったでしょうか。 インドでは、ガンジーが暗殺された場所を訪れ、法螺貝を吹き、町田宗鳳さんと一緒に般若心経を唱えました。広島の平和公園のように、火が燈されつづけていました。公園の一角で小学生たちがガンジーの推奨した糸車を回していました。ガンジーは、「人間はみな神の子」だと主張しました。そして、そこにはいかなる差別もないと。宗教についても宥和策をとり、ヒンドゥー教とイスラームの宥和を説きました。しかし、現実には、インドはヒンドゥーのインドと、イスラームのパキスタンに分裂し、両者で激しい対立と殺戮が起こりました。今でもその火種は燃え続け、爆発しています。 わたしがベナレスを訪れた時、イスラームの祭りの日だったのですが、イスラームとヒンドゥーとのあいだで小競合いが起こり、死傷者が何人も出て戒厳令が敷かれ、ホテルに足止めになりました。１５年前、どうして神を信じるもの同士が殺し合うのか、怒りと悲しみと暗澹たる思いをもって、ベナレスの暗い夜を過ごしたことを思い出します。 今回、印象に残ったのはジャイナ教の修行者（サドゥー）と会ったこと、カーリーの神を祭るオールド・デリーのヒンドゥー寺院を参拝したことです。 ジャイナ教には、わたしは「破滅教の教祖」高橋和巳の『生涯にわたる阿修羅として』を読んで以来、興味を持ってきました。高橋和巳は、ジャイナ教を高く評価していたと思うのですが、それには２種類あって、白衣派と裸形派（または空衣派）と言います。白衣派は、穏健派で、白衣を身にまとって修行しますが、裸形派は素裸で、道を歩くにも箒をもって、虫を殺さないように掃きながら歩き、ものを何も食べないで死んでゆく、つまり断食死することを最高の修行としているセクトとのことでした。わたしは、以来、このジャイナ教の裸形派を人類が生み出した究極の宗教だと思ってきました。それを肯定も否定もする気はありません。人間はここまでいく存在なのだと思わずため息をつき、凄いとも怖いとも滑稽とも思うのです。そんな気持ちを喚起させてくれるジャイナ教にわたしは共感を寄せてきました。「なんや、極道の宗教みたいや」、と。言葉に表せない飛躍と冒険と覚悟と叡智とナンセンスがごった煮にされたような。混沌とした突き抜けのある。「これはインドでしか生まれない宗教や」、と思わずにはいられなかったのです。このジャイナ教裸形派に較べると、仏教もヒンドゥー教も穏和に思えます。 ガンジーは、敬虔なヒンドゥー教徒ですが、キリスト教にも仏教にもジャイナ教にも共感を寄せた人でした。イスラームにも。不殺生＝アヒンサー＝非暴力は、仏教とジャイナ教の根幹をなします。博愛（友愛）と慈悲は、キリスト教と仏教の根幹をなします。信は、イスラームの根幹をなします。これらの宗教の根源的な徳をガンジーは実践し体現しようとし、それをかなりなところまで達成した２０世紀の聖者だったと思います。その衣鉢を継いでいるのは現代ではダライ・ラマでしょう。ガンジーがいなければ、今のダライ・ラマもいません。また、２０世紀の平和運動も盛り上がらなかったと思います。 傑作小説『ぼくは始祖鳥になりたい』（講談社）の著者の宮内勝典さんに最近聞いた話ですが、９・１１のテロ事件が起きた後、ニューヨーク市内にあるガンジーの銅像の下に若者が集まってきて、黙って祈りを捧げたり、歌を歌っていたりしたとのことです。 つい最近、１２月の初旬には、ＮＨＫ総合の「今 歴史が動いた」の中で、ガンジーの「塩の行進」が取り上げられましたが、あれはとてもいい番組でした。ビデオに撮って、最後までテロップを見ていると、構成（演出）上野智男とあって、びっくりしました。 一度岐阜ＮＨＫで、映画監督の篠田正浩さんや縄文考古学者の小林達雄さんやパーカッショニストの土取利行さんと、飛騨高山の霊性を探る番組を作ったことがあったのですが、その時のディレクターが上野さんだったのです。１０年後、彼はＮＨＫ大阪に移動し、ガンジーの番組を作ったのです。翌朝、わたしはＮＨＫ大阪に電話し、上野さんに「いい番組を作ってくれてありがとう。よくＮＨＫが今の今、この番組を放送してくれたよ。感動したよ」と。そして、その３日後、彼に京都造形芸術大学に来てもらって話をし、造形大学の創立者の徳山詳直理事長に紹介したのでした。というのも、徳山理事長はこのところガンジーと平和のことを考え続けていたからです。わたしはこの徳山理事長の理想に惹かれたことが一番の大きな理由で、昨年４月に京都造形芸術大学に転任したのです。 昨年１２月１６日付けの徳島新聞に、＜１５年前、「平成」の元号に切り替わった時、わたしは「これから大中世が始まり、戦乱の世になる」と直観した。そして、その元号を選んだ政治家や有識者に抗議せずにはいられなかった。/ 読者には突飛だと思われるかもしれないが、「平」の後から始まる時代が日本史に二度ある。一度は「平治」、二度目は「平成」。しかし、「平和」を希求したそのどちらの時代も、「平和に治まる」ことも「平和に成る」こともなく、「兵治」と「兵政（兵制）」の世になってしまった。イラク派兵の閣議決定や小泉首相の記者会見の報道を聞きながら、この国の政治家は本当に民衆の願いも心もわからず、歴史から学ぶこともない人たちなのだなと嘆息をついた。＞と書き、今年の年賀状にも、同じように、＜１６年前、元号が「平成」に変わった時、「平成の世」は「平和に成る世」ではなく、戦いの世となり、乱世になると直感しましたが、本当にそうなってしまいました。中世の始まりを告げる「平治の乱」の時のように。「歴史は繰り返す」という諺をかみしめているこの頃ですが、しかし、そうであればあるほど、平和への意志と行為をしっかりと表していきたいと思います。＞と書きました。 当時５歳の子どもの手を引きながら、この「戦乱の始まる『平成の時代』の子どもたちを守るためにできる限りのことをしなければ」と覚悟したことを忘れることができません。 わたしは、この世に平和を実現するためには、まず第一に、人間が自分自身の愚かさと弱さを自覚することが必要だと思います。そして、その上で、一人一人の人間が自分自身の持てる創造性を十全に発揮することが不可決だと思います。創造力の発露はしばしば人間を有頂天や傲慢に掻き立てますが、そのような人間の愚かさの自覚の徹底と創造性の逆説的な発露として、ジャイナ教裸形派は燦然とした道を示していると思ってきました。わたしの提唱する「一日一馬鹿運動」は、世俗化したジャイナ教裸形派の変種といえるかもしれません。もちろん、徹底したものではありません。人間よりも、毅然とした馬や鹿や動物の品性や霊性を模範にしようとする道です。「天才バカボン」のお父さんの出た「馬鹿田大学」ではありませんが、「馬鹿学・馬鹿道」は、とても奥が深く、極まりがないのです。 今日も例によって、話が横にズレにズレていきました。新年から錯綜した話になってしまいましたね。これもまた、「インド的混沌」の洗礼を受けてきた結果とご寛恕ください。 わたしの次のＣＤ、サードアルバムのタイトルは『混沌』と決めていましたが、インドからの帰りの飛行機の中でその中の曲ができました。帰国してから３日後にさらにもうワンパートの曲ができました。次のアルバムは、１曲４０分のアルバムです。その中に、苦悩と暴力と祈りと解脱のすべてを溶け合わせ、昇華させたいと思います。 「混沌からの出発」、今年のわたしは「鎌田混沌」と名乗りたいです。 何がなんだかわからなくなりました。それではごきげんよう。 「平和を我等に！」 イランへの鏡さんのこころざし、心に沁みます。合掌。 ２００４年１月７日 鎌田東二拝 |