第６信

　とうに満月は過ぎてしまいました。遅ればせながら、月遅れの独りレターを書きたいと思います。

　先だっての満月の頃、月光の光が何て美しいのだろうと改めて思いました。部屋を真っ暗にしていると、静かに月光が差してきます。その静かで仄かな、しかししっかりとした青白い光には、聖なる静けさと神々しさを覚えます。なんともいえない、静かな気持ちにさせられて、本当に自然に手を合わせたくなります。

　最近、わたしはヘルマン・ヘッセからウィリアム・ブレイク、ゲーテと読み進めていますが、これが本当に面白いのですよ、とても。特に、ヘルマン・ヘッセの『ガラス玉演戯』とブレイクの『エルサレム』には、深く入ってくるものを感じました。

　ヘッセの最後の長編小説である『ガラス玉演戯』は、ヨーロッパのある国のカスターリエンという教育州において、"ガラス玉演戯"という、音楽と数学と演劇と瞑想を一体にしたような総合芸術の名人として活動したヨハネス・クネヒトの伝記ですが、これが涙なくして読めません。まさに月光の聖なる静けさの光を満々と湛えているような小説なのです。これといってドラマチックな事件が起こるわけではないのですが、わたしはこのクネヒトという少年がガラス玉演戯名人になっていく過程に名状しがたい共感と感銘を抱きました。

　その感銘の質は、その昔、ルドルフ・シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』（高橋巖訳、イザラ書房）を読んだ時の感動に似ていました。とてつもなく静かで、深い、海の底まで辿り着いたような静かで深い感銘でした。音がいっぱい満ちているのに、静寂そのものであるかのような。人生において、このような書物や人物（たとえ、それが架空の存在であるとしても）に出会える喜び、幸福、僥倖、恩寵を感ぜずにはいられませんでした。

　「運命」とか「天命」という言葉が自然に浮かんでます。クネヒトは孤独な少年ですが、とても素直で、静かな少年でした。ある時、音楽名人が自分のバイオリンの演奏を聴いてくれたのをきっかけにして、彼は「名人」への道を歩み始めます。しかし、結局、クネヒトは「音楽名人」の道を歩まずに、カスターリエンの独特の総合芸術である「ガラス玉演戯名人」の道を歩みます。そしてその「名人」の道は、自ら求めたものではなく、おのずと開かれ、歩まされてしまった道なのでした。「名人」にはなりたいと思ってもなれるものではありません。そこには、人間の計らいを超えたある大きな力や導きが必要です。クネヒトはまさにその力と導きに出会ったのです。それを「運命」とか「天命」と言っても言いかと思います。

　ルドルフ・シュタイナーは、『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』の中で、将来「神秘学徒」になるタイプの少年少女の姿を、なるほどと納得するかたちで描いています。シュタイナーは言います。「聖なる恥じらい」を持った少年や少女が「神秘学徒」となっていくと。これを読んだ時、３０歳前後であったわたしは「そのとおりだ！」と思いました。そしてその「聖なる恥じらい」というものの内実に親密な感情を覚えたものです。

　それは、先だっての満月の時に感じた「聖なる静けさ」と根底を同じくする何か、です。感覚的、直観的にしか言えませんが、そのような「聖なる恥じらい」や「聖なる静けさ」を自分の魂の養分としている子供がいるのです、必ず。そのような子供は、ある超越的な力に導かれて独自の道を歩むようになります。世界も人間も動植物もすべてがメッセージですから、その中からさまざまな導きのしるしを感得し、読み取っていきます。師がいなくても、どこにでも師は現われてきます。観音菩薩が３３身に化身して衆生を導き済度するように。

　わたしは子供の頃からとても変わった子供だと言われてきましたが、自分ではよくわかりませんでした。確かに昔は「鬼を見た！」とか、今でも「俺の母はセーヌだ！」などといったりするものですから、とても我の強い、アクのある、自己中心的で、主観的で偏った人間のように思われがちです。そう思われてもいっこうに気にしませんが、自分の奥底にとても恥ずかしい気持ちがいつもあることに子供ながら戸惑ってきて、そういう気持ちを自分で調練してきたのです。人前で話することとかまったくできませんでした。にもかかわらず、嵐の中で、土砂降りの雨風に打たれながら、激しい歓喜に身を震わせながら「雨よ、降れ！　風よ、吹け！」と叫んでいるのでした。そして、「星」が自分を導いてくれると確信していました。

　５４歳になって、子供の頃の気持ちがまったく変わっていないのを感じます。「三つ子の魂百までも」という諺がありますが、わたしの人生はまさにその諺どおりです。まったく、成長というものがないかのようです。

　ヘルマン・ヘッセの『ガラス玉演戯』を読んだ時、思わずこのクネヒトと言う子供の中に立ち現われる「声」や「星」の力と導きに、自分自身の子供時代を想い出して、人生を二度行き直すような不思議な気持ちにさせられたのです。クネヒトは「聖なる恥じらい」を持った子供でした。その「恥じらい」は彼を高みへと、そして低みへと導きました。彼はこの世界が異次元的な立体交差を成していて、その交差点にいる自分をよく自覚していました。そしてその中で自分が果たさねばならない役割と義務についても。

　「運命愛」とは、なんでしょう。ニーチェも「聖なる恥じらい」と持った子供だったのでしょう、きっと。しかしその「聖なる恥じらい」は、激しい「神の死」の宣教に変わりました。「恥じらい」の過激な変容に身を任せたのです。「恥じらい」は、一見傲慢とも高慢とも思えるほどの激しい次元へと自分を追い込みます。自分を失わせるところまで、突き動かし促すのです。それは怖ろしいほどの力です。一回その力の巻き込まれたら、振りほどくことも、脱出することも大変に困難です。

　クネヒトはしかし、そのような力のもっとも調和ある道を歩むことができた人です。しかし、最後には、彼もその力の促しの中で、周りの人々からは理解されないような行動をとり、山中の湖で心臓麻痺になってあっけなく溺れ死んでしまいます。ヘッセはどうして、クネヒトにそのような「死」を与えたのでしょうか。

　言えることは、それが単なる「死」ではない、ということです。それは、生成であり、変容であり、伝達であり、化身である。そのような不可思議なコミュニケーションのかたちとしての「死」をヘッセはクネヒトの突然死を描くことで伝えたかったのではないでしょうか。そしてそれはやはり、「ガラス玉演戯名人」にふさわしい死に方だったと思えます。

　ところで、一昨日と昨日、５月２８日・２９日と、伊勢で京都造形芸術大学通信教育部の科目「地域文化演習」のスクーリング授業を行いました。去年に引き続き、同じプログラムで、ほぼ同じ時期に授業を行ったのです。参加者は、北海道から九州まで、全国から集まった３５人。

　そこで、わたしは改めて、伊勢の地に興味を抱きました。授業案内のシラバスにわたしはこう書きました。

地域文化演習・伊勢学演習
　ねらい：伊勢は古来、「常世の国の重波寄せる国」を呼ばれ、常世に近接した聖なる土地でした。そこには、古くから、太陽神にして皇室の祖先神・天照大神をお祀りする内宮と、食物神としての古神・豊受大神をお祀りする外宮が建てられ、20年に１度行われる式年遷宮を始め、古式に則った祭祀が伝承されてきました。
　この地は、しかし、本来は、大国主神と並ぶ国つ神・猿田彦大神のゆかりの地でした。猿田彦大神の子孫の大田命がこの地を倭姫に譲り、内宮が建立されるに至ったという伝承もあります。かくて、この地にはたくさんの神社が建立され、出雲大社や宇佐八幡宮と並ぶ日本有数の聖地として栄えてきた聖なる場所です。また、伊勢の近くの松阪は、国学者の本居宣長が生まれ、生涯を過ごした地です。
　本地域文化演習では、都を霊的に支える日本の宗教文化の拠点としての伊勢の宗教と芸術文化の諸相を、実際に神社仏閣を巡りながら体験学習していきます。直接、神主さんのお話をうかがいながら。ちなみに、引率教員の鎌田は、毎年10月には猿田彦神社で「おひらきまつり」という面白い祭りをしています。詳しくは、「猿田彦大神フォーラム」をご覧ください。
　そのような次第で、伊勢の地は引率教員の深い縁のある土地です。
授業内容
＜5月29日（土）＞
　13：00　　伊勢神宮外宮正殿前集合・参拝　風宮・土宮・多賀宮など巡拝。
　14：00　　伊勢神宮・内宮参拝、荒祭宮・風日祈宮など参拝
　15：30　　猿田彦神社正式参拝・小波美術館見学
　16：00　　宇治土公貞明猿田文神社宮司＋鎌田東二の話
　　　　　　伊勢および猿田彦神社、おひらきまつりなどについて
　18：00　　交流会（二見町の旅館・潮香苑にて）
＜5月30日（日）＞
　9：00 （午前中） 　　各自のフィールドワーク的地域文化演習（自分の好きなところ、ここだと思ったところを自由にフィ－ルドワークしてもらい、その成果を午後発表しあう）
　14：00 より 　　成果の発表会（会場は、猿田彦神社社務所）
　終了予定：16：30頃
地域文化伊勢学演習のための序曲
１、「地域文化演習」とは何か？――さまざまなアプローチ　民俗学・宗教学・考古学・歴史学
２、聖地の条件
① 聖なるものの示現
② 環境資源、水・木・岩、植物・動物。生命ストック。生命多様性。生命ミステリー。
③ 神話と儀礼。物語。開山伝説。祭り。天の岩戸神話と儀礼。アマテラスとウズメの神話。鎮魂祭。
④ 神秘体験。宗教体験。
３、聖地と芸能
① 聖地と霊場における意識の変容体験
② 体験の表現としての芸能・芸術・神楽
４、伊勢内宮と外宮の由来
５、サルタヒコ大神と猿田彦神社

　などと。ところで、今回、わたしは偶然、５月２９日に、「浜参宮」の行事にぶつかり、見学することができました。古来、二見浦は、天照大神―倭姫尊がその海岸風景の美しさに二度振り返って見たために「二見浦」と呼ばれるようになったと伝えられ、「清き渚」とも呼ばれて大変尊ばれてきました。やがてこの浜は「禊浜」と呼ばれるようになりました。伊勢参宮をする人々が海辺で汐水に心身を清めたからです。

　「浜参宮」とは、この「清き渚」である二見浦の「禊浜」で禊を取ることでしたが、今では「無垢塩祓い」でその代わりをしています。地元の伊勢新聞の５月３０日付の記事には、次のように報道されました。

＜遷宮でご神体を納める用材を伊勢神宮・外宮に運ぶ「御樋代木奉曳（みひしろぎほうえい）」を来月に控え、第六十二回神宮式年遷宮用材奉曳本部（本部長・加藤光徳伊勢市長）は二十九日、二見町江の二見興玉神社で「浜参宮」を行い、奉仕者約八百人が身を清めた。 「浜参宮」は古来、伊勢神宮の参拝前に同神社でみそぎをした習わしに由来するけがれをはらう行事で、遷宮の諸祭典の前にも実施する。

一行は、ＪＲ二見浦駅での歓迎式典の後、白い法被と鉢巻き姿で木やり歌を歌いながら二見浦表参道約一・四キロを行進し、同神社に到着。本殿で藻草を天日干ししたおはらいの具で身を清める「無垢塩祓（むくしおはらえ）」などをし、けがれをはらった＞

　わたしも、この中に混じって、「無垢塩祓い」を受けました。とはいえ、二見興玉神社で４時４０分頃にご来光を仰いだ後、褌一丁になって宿泊所の潮香苑の前の浜で、禊をしていたのでした。ですから、「禊浜」で実際に禊をし、その後、「無垢塩祓い」も受けることになったというわけです。

　今回の伊勢神宮参拝で強く思ったのは、神宮の御正殿の玉砂利の空間が海のようにせりあがっていて、まるで波間に漂っているかのようなウェーブと揺らぎを感じたことです。そこでは、社殿は船のようでした。「神社は宇宙船なり」とは、いみじくも天河大弁財天社の柿坂神酒之祐宮司の名言ですが、伊勢の神宮の社殿は、まさに「タカアマ（天＝海）ハラ」を航海する「船」のようでした。この波のうねりは、実に酩酊的で、船酔いをしそうでした。そのことが大変印象深く、心身に響きました。

　さて、最後に、最近の出来事をメモします。５月２２日、地球平和公共ネットワークの「ピース・マニフェストを作ろう」シンポジウムに参加、小林正弥千葉大学教授や千葉眞国際基督教大学教授たちと会う。翌５月２３日、友人の尾崎保博平野神社宮司とともに、東大寺二月堂を訪ね、上院院主の平岡昇修師と打ち合わせ。改めて東大寺の面白さを感得。東大寺のお坊さんが亡くなって葬式をする時、わざわざ西大寺の真言律宗のお坊さんに来てもらって葬式をするとか。東大寺は葬式仏教ではまったくない！　ということ。うーん、東大寺って、総国分寺であり、華厳経のお寺だけど、極めて大陸的で、日本離れしているな。もっと東大寺のことをしりたくなった。

　かくなる次第で、６月には、尾崎宮司たち一行と再び東大寺を参拝する予定。楽しみである。

2005年5月31日　鎌田東二拝